処女の泉 原題:JUNGFRUKALLAN
製作1960年 スウェーデン 監督:イングマール・ベルイマン
原作:ウルラ・イザクソン
脚本:ウルラ・イザクソン
出演:マックス・フォン・シドー、ビルギッタ・ペテルスン
『夏の夜は三たび微笑む』とはうってかわって
とっても重たいテーマの作品でした。
今回はネタバレなので、注意してお読みください。
(あらすじ)
スウェーデンの片田舎に住む一家の一人娘カーリンは
教会に蝋燭を捧げるために養女のインゲリとともに出かける。
途中でインゲリと離れ、一人で羊飼いの3人組に出会ったカーリンは
無邪気についていくが、襲われた後で殺されてしまう・・・・・。
やりきれないですね。
無邪気で明るい娘でも妬まれてしまうし、
そんないい子が無残に殺されてしまうなんて
神様の意思は人にははかりしれないものなのです。
それにしても、にっくき犯人たちが偶然にも家にやってきて
復讐の機会が与えられたのは神のおぼしめしなのでしょうか?
殺すなかれと言う教えがあるけれど
殺しても殺したりない存在が目の前にいる・・・・・
父の苦悩が印象的でした。
激情にまかせて殺してしまうのではなく、
静かに身を清めて、そしてヤツらの顔を確認した後で
イラストのように椅子に座って少しの間考え込むのです。
そして、羊飼い3人組を殺してしまうのですが
彼らは大人2人に子供が1人という組み合わせなのです。
もちろん、娘を襲い殺したのは大人2人だけで子供は見ていただけです。
子供に罪はないけれど、父はその子の命まで奪ってしまうのです。
そこまでの激しい怒りがあったのだと思いますが、
でも、それゆえに冷静になればなるほど、
自分の犯した罪の大きさにつぶされそうになっているのではないでしょうか?
以前に『イン・ザ・ベッドルーム』という
息子が突然殺されてしまった父を描いた映画を観た事があるのですが
その時はやりきれなさしか感じる事ができず
今も再見しようとはまったく思っていませんが、
この映画はラストが寓話的だからなのか、
舞台が中世だからなのかわかりませんが
不思議とそこまでのやりきれなさは感じずに観終わる事ができました。
と言っても、多分再見はしないと思いますが。
この作品は苦手で、どう解釈していいかもよくわからなかったんですが、父親目線で観ると本当にやりきれないですよね。
イラストの父親の表情、張り詰めたものが伝わってきて、何を考えているんだろうと思わず見つめてしまいました。
私的に印象に残っているのは、娘に嫉妬していたインゲリです。襲われているのを見て「ざまーみろ」とばかりにほくそ笑んでいたのが、あんな事になって色を失うところ。
その後、心ここにあらずという様子だったのが印象的でした。
>この作品は苦手で、どう解釈していいかもよくわからなかったんですが、
本当に解釈が難しいですよね。
宗教を深く信じているかどうかも関わってくると思います。
>イラストの父親の表情、張り詰めたものが伝わってきて、
ありがとうございます!
きっと無言で神に向って一生懸命問いかけて
答えを待っていたのだと思います。
>その後、心ここにあらずという様子だったのが印象的でした。
実の娘とインゲリとでは親からの扱いがかなり違っていて、
娘自身が悪いわけではないのですが、嫉妬や妬みの対象になってしまったんでしょうね。
ちょっとは痛い目をみろと思っていたでしょうが
まさか死んでしまうとは思ってもいなかったでしょうね。