誓いの休暇 英題:BALLAD OF A SOLDIER
製作1959年 ソ連 監督:グリゴーリ・チュフライ
脚本:ワレンチン・エジョフ、グリゴーリ・チュフライ
出演:ウラジミール・イワショフ、ジャンナ・プロホレンコ、
アントニーナ・マクシーモア
ほとんど知らない映画だったのですが、
冒頭の母の立ち姿に共感、ひきこまれました。
(まあ、母の出番はほとんどないのですが・・・・・。)
(あらすじ)
青年兵アリョーシャは戦争で思わぬ手柄をたて、6日だけ休暇をもらい
母の元へ帰ろうとする。
が、帰る道すがら負傷兵に出会ったアリョーシャは・・・・・・。
先ほども書きましたが
冒頭、息子の帰りをジッと待つ母の姿にグッときました。
帰る知らせをもらってなくても、母はいつでも、いつまでも待っているものなのです。
戦争なんかに行っていなくても、最近夕暮れが早くなってきて
小4の長男が予定時刻より帰りが遅くなっただけで私はついつい心配してしまうのです。
自分が小中学生の頃、帰りが遅くなるとばあちゃんが通りまで出てきて立っていたのを思い出します。
あの時は「そんな事しなくても全っ然平気なのに。」って何度もばあちゃんに言っていたのですが、
今ではばあちゃんの気持ちがすごくよくわかる年齢になってしまいました。
心配するなって言われてもついつい心配してしまうものなのですね。
そんなこんなで母の心子知らず・・・・・
本心は帰りたいのに、他人の世話ばかりやいて大切な休暇がどんどん短くなってしまうアリョーシャ。
ほとんど知りもしない他人のために一生懸命になれるアリョーシャはすごいと思いました。
彼の行いはほんの小さな事かもしれないけれど、それでも周りの人はとても感謝しているはずです。
本人の性質もあるだろうけれど、母がしっかりと子育てをした証だと思います。
子供は自分が育てたようにしか育たないのです。
グッとはくるんですが、涙で前がみえないとかはなくって、割と爽やかに見終える事ができました。
母に共感しているので、彼女と同じように私も覚悟はできていたのだと思います。
静かに反戦を訴えてくるすばらしい映画でした。
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最初に観たのが高1か高2頃、TV「日曜洋画劇場」の吹き替え版、映画館で観たのは3年後くらいでした。(映画館で3、4回観てます)
まだ、若かったから最後の方でウルウルするくらいだったと思います。
でも、今は。(笑)
あの最後近く、母親が麦畑の中、我を忘れて転びそうになりながら、ひたすら走る姿にボロ泣きです。
「町へと続く一本の道。村を出て行く者、帰ってくる者、誰もがここを通る道、母は息子の帰りを待った、しかし息子が戻る事はなかった。戦争の英雄も、母にとってはただの息子なのだ」
「町へと続く一本の道。村を出て行く者、帰ってくる者、誰もがここを通る道、この道に息子が戻る事は二度となかった」
よく記憶してる人がいるもので、40年前の吹き替え版で、上がオープニングのナレーション、下が最後のナレーション。
ナレーション担当は、僕等の世代では深夜ラジオ「ジェット・ストリーム」で有名な城達也さんでした。
たった一度しか聞いた事がないのに、今でも、明確すぎるほど明確に、このナレーションの声や抑揚、テンポが昨日の事のように浮かんできます。
>最初に観たのが高1か高2頃
アリョーシャとほぼ同年代ですね!
アリョーシャと一緒に旅をしている気分になられたのではないでしょうか?
>たった一度しか聞いた事がないのに、今でも、明確すぎるほど明確に、このナレーションの声や抑揚、テンポが昨日の事のように浮かんできます。
原語版で観たので、字面をなぞっただけですが、
それでも胸を打つ言葉でした。
特に「戦争の英雄も、母にとってはただの息子なのだ」に深く共感します。
上手なナレーションで聞くと、感動もさらに深くなりそうです。
それまでは、安心出来ないというか....
すごく泣けそうです...
最近、涙腺崩壊ぎみで、なんでも泣けます。
今日はちょうど台風接近で、すごい天候になってて、みぞれも降り、心配だったので子どもに塾を休んでまっすぐ家に帰る様にメールしました。
>それまでは、安心出来ないというか....
毎日の事なのですが、慣れませんね(^^;
この映画はとてもいいのですが、
古い作品ですし、ソ連の映画なのでなかなか入手できないかもしれません。
(↑のアマゾンでもプレミアがついているみたいですね。)
>心配だったので子どもに塾を休んでまっすぐ家に帰る様にメールしました。
関西は大したことはなかったのですが、
東の方は大変な事になっていますよね。
生命が一番大事だと思います!
塾も大事ですが、天候がよくない時は休んだ方がいいです。
時には退くことも大事ですよね。
>冒頭、息子の帰りをジッと待つ母の姿にグッときました。
>帰る知らせをもらってなくても、母はいつでも、いつまでも待っているものなのです。
イラストは本当に素晴らしいと思ったのですが、
私は一回しか見ていないけど、この冒頭のシーンは、
その前にすれ違うシーンに出てくる赤ちゃんが
隣の子の子供(夫はイワンだと思う)と思い、
あのときには戦死は分かっていなくて、
もちろん再会の数分間にもそんな覚悟はなかったと思うのですが、
それだからこそ、
母親の一人息子を待つシーンに意味があって、
きっとその後一生涯、戦死公報が来ても、時々にはあの道まで行ったと思うし、
そんな映画だと思いました。
涙して、母親だもの、ハンカチ必携、そういう映画でした。
ただ、それだけではなく、この映画は、
あの水の飲むシーンだけでも、OKって感じ。
撮影カメラがキレイでした。
>そんなこんなで母の心子知らず・・・・・
内容では、
あの脚一本の人を置いていけないこと、
石鹸を父親に渡し直しに行くこと、
彼女のこと、
全部、アマッチョロイし、
本当にお母さんのことを思うなら、まっすぐ行かなくてはならないし、
軍人たちも、他の人々も、戦争でそれどころじゃない筈なんだし、
おかしいという点があれこれあれど、そういう事を責めずに、
白樺林に落ちる夕陽、いつまでも動いている列車、
ロシアの大地の大きさを思えば良い気がして、そんな映画でもあったと思いました☆
.
いやいや、スルーだなんて・・・私もいつも読み逃げですみません(>_<)
>あのときには戦死は分かっていなくて、
>もちろん再会の数分間にもそんな覚悟はなかったと思うのですが、
私、戦争とか関係なく、普段から子供の帰りが遅いともしかしたら事故に・・・・・とか
毎回子供が帰ってくるまで覚悟してるんですけど、これって変わってるのかしら?笑
>きっとその後一生涯、戦死公報が来ても、時々にはあの道まで行ったと思うし、
>そんな映画だと思いました。
人間、踏ん切りというかきっかけというか、もしもご遺体がなく知らせだけだったら
もしかしたら誤報かも・・・と、いつまでも、いつまでも待ち続けるのではないかと思います。
数年前にお孫さんが豪雨で流されたご遺族の方は今も探してらっしゃいますものね。
>全部、アマッチョロイし、
あはは!
でも、そのアマッチョロイのは私は何となく理解できます。
(このアマッチョロさは『ひとりぼっちの青春』にも通じるものがあると思います。)
そして、アマッチョロイ世代の子までが戦争に行かなければいけないのが哀しいです。
他人なんて構っていられない時代に、それでも人のために何かをしようとするあの青年に
誰か一人くらいはそうあってほしいと私は自分の理想を重ねているのかもしれません。
また、その甘さゆえに戦争では命を落としてしまうのは必然なのだと思います。